日本で人生に行き詰まったら、リュックサックを持って中国へ

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今朝ヤフーニュースでショックな記事を見ました。

「日本の若者の死因、自殺が1位」

もし 今、日本でどうにもならなくなって人生に行き詰まりを感じている方がいたら、とにかく日本から外に出てみてください。

これは日本を捨てるとかそういう事ではありません。私は日本を出て中国にいますが日本の自然とか風土、国民性は大好きですし(政治は除く)、自分が日本人であって本当に良かったと日本という国に感謝しています。

でもいくら素晴らしい国でもずっと国内に引きこもっていると、そのありがたさがわからなくなってしまうのです。外国から見てみると自分の国の良さがよくわかるものです。

サッカーの本田選手もそんなことを言っていました。

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環境を変えてみる

国の問題ではなく、自分自身の人生に行き詰まりを感じている、という場合でも住む場所を変えて環境を変えてみると状況は大きく変わるはずです。

外国を見るだけでも意識が変わり、思考のベースが広がります。思考のベースが広がると感じていた行き詰まりも消えてなくなってしまう可能性があります。

日本の会社で働いていて苦しくてもう逃げ場がないように感じても、山手線に飛び込む必要なんかないのです、世界は広いので行き場所はいくらでもあります。

外国へ出るなら、とりあえず中国がおすすめです。いろいろな外国がありますがなんだかんだ言ってもやはり日本人には他の外国に比べて中国は馴染みやすいです。

私自身も5年前に日本を飛び出して(飛び出してというよりは日本から逃げ出したという感じです)今は中国で中国法人を設立し貿易のビジネスをしています。

当時は日本でのサラリーマン生活に行き詰まり、日本社会に嫌気がさして日本を出たのですが、今では日本という国に感謝し日本人であることを誇りに思っています。一旦日本を出て日本の外から見てみると本当に日本の自然、風土、国民性など素晴らしい国であると思います。(政治は除く)

 

日本で人生に行き詰まったら

私自身が日本でどのように行き詰まっていたかを書きます。今考えれば、まだ狭い世界しか知らず視野が狭く行き詰まっていたように見えていただけだった事がわかりますが、当時は本当に沖縄へ死に場所を探しに行くくらい行き詰まっていたのでした。今思い出すと未熟で情けない限りです。

大学院を卒業すると歴史的な就職氷河期であるにも関わらず就職活動の苦労もほとんどなく日立に入社させてもらいました。入社当初は一部上場の有名会社で働ける、毎日品川のオフィス街にある大きなビルに通勤し、自分はエリートサラリーマンになったようなそんな気分でした。

職場はみずほ銀行(旧興業銀行)の情報システム部門内に、銀行員、自社社員、下請け業者が一緒に常駐し金融システム開発の仕事をするという特殊な勤務形態で人間関係もかなり複雑でした。

ある日全体朝礼でみずほ銀のお偉いさんが、我々は発注元だから一番偉い、下請けは使い捨てればいい、そういう雰囲気の事を言っていて非常に不愉快に思いましたが、それが仕事だから仕方ないと自分を無理やり納得させていました。要するに全体がこういう雰囲気なのです。

大きな組織というのはだいたいそんな空気があります。そんな中で働くうちに私は何か心にストレスがかかると無意識的に作り笑いが顔に浮かんで、自分の感情を隠そうとするという不気味な習慣が身についてしまいました。

そういう大きな組織の中に歯車の1つとして組み込まれるのは自分にはとても不快でした。

組織の雰囲気の問題だけではなく、私自身も社会人として本当に未熟でした。仕事の効率も悪くミーティングで上司に提出したスケジュールもリスケの繰り返し、それをリカバーしようとして深夜まで残業し翌日は早朝から出社、土日は会社に泊まり込み、衰弱しさらにリスケ、という悪循環です。
そしてこの仕事の先に何があるのか、忙しくてもはっきりとした目標、向かうべきところが見えていればいいのですが、そういうものもなくただひたすら仕事に追い立てられる、そういう状態が続くと人間の視野はどんどん狭くなっていくようで物事をいろいろな視点から見たり考えたりできなくなっていきます。

もうどうにもならない、いったんここから逃げ出すしかない、そんな考えが頭に広がっていきました。最近、過労のために衝動的な行動をしてしまうそんなニュースも多いのですがどんな状態かよくわかります。

ある日、ほぼ無意識的に会社の自分のデスクの中の物を全部処分していました。明日からもう会社へ出勤しないと決心し、退社時間になるといつも通り当時住んでいた会社の社員寮に帰りました。
次の日の出社時間、もう今まで毎日乗っていた通勤電車には乗っていませんでした。当時買ったバイクに寝袋を積んで富士山方面へ向かって走っていました。完全に会社の誰にも連絡もせず無断欠勤だったので、これで終わった、もう会社には行けないという不安感とと同時にもう会社に行かなくていいという素晴らしい解放感があったのを覚えています。

それから数日は誰にも連絡せず野宿やホテル、ネカフェを転々とし、周囲の人達から見れば私はほとんど失踪状態となりました。
その間は夜も寝ずに東京などいろいろな場所をひたすら歩き回っていました。夜に歩き始めて朝、明るくなるまで歩きました。もう何もできなくてただひたすら歩くしかなかったんだと思います。

そうこうしているうちに当時住ませてもらっていた会社の社員寮にまだ荷物が置いてあったのを思い出しそれを片付けようと社員寮に戻った時に、会社の同期と会い上司にもちゃんと説明するように諭され社員寮の会議室で上司に会いました。社員は家族だから会社へ戻ってこいと上司は言ってくれましたが、もう会社を辞める覚悟が決まっていると伝えました。私は人前で泣いたことはほとんどないのですがそのときは大泣きしていました。今思えばそんなに泣くほどのことでもないのですがまだ若かくて視野も狭かったのだと思います。

その後、会社の人事部の人達と面接をし正式に退社が決まりました。今では当時の上司や会社に対してはよくこんな私のような未熟な社会人を相手にしてくれたと申し訳ない気持ちと感謝があるのみです。

正式に退社が決まってからは確かにこの先どうしようという不安感もあったのですが、それよりなにより今まで感じた事のないようなものすごい解放感と爽快感がありました。大学を出てちゃんとしっかりした会社に勤めなければいけないという洗脳のようなものが解けたのかもしれません。とにかく、やはり私は元々大きな組織のサラリーマンには向いていなかったのだと思います。

 

中国へ出る

その後しばらくはそのまま東京で小さな会社で働いたりの生活していましたが、結局は実家のある長野に帰りました。せっかく大学院まで出してもらって上場企業に入社したのに、実家でフリーターになったのでした。このときがいわゆるどん底だったのだと思います。

しかしどん底までくると底を打ってそこからは自然と浮かびあがれるように人間はなっているのかもしれません。長野の実家でバイト生活をしながら、ある日ふと頭の中に中国で事務所を構えて仕事をしているイメージが浮かんできました。なぜかはわかりません。

そして本屋で香港のガイドブックを買い、まずは香港に行って香港で事務所を作ろうと考えました。この時点で何の商売をするかはまったく決まっていませんでした。
すぐ飛行機のチケットを手配し香港へ渡り事務所探しを始めましたがとにかく家賃が高いのです。そうこうするうちに香港のとなりにシンセンがあるということも知り行ってみることにしました。

シンセンでいろいろな人に会ったり事務所を探したりしたのですがやはり適当な所は見つかりませんでした。困り果ててネットの掲示板で手伝ってくれる人を募集しました。ネットの掲示板で協力してくれる人を募集したところライさんという人から連絡があり、会わないかと言われました。

でも名前も聞いたことのない東莞(今の事務所がある場所)という怪しい所まで来いと言っています。
なぜ会いに行く気になったのかもよくわかりません。シンセンから初めて高速鉄道にのり東莞の常平というわけのわからない駅で下車し、びくびく警戒しながら指定された待ち合わせ場所に行き待っていました。するとかなり怪しいルックスの細身で浅黒い人が近づいてきて、日本語でこんにちはと声をかけてきました。

中国で仕事したいの?じゃあと言ってまずは事務所を探しを手伝ってくれました。ここ東莞はシンセンよりも家賃もかなり安くすぐに気に入り事務所を借りることに決めました。今思えばライさんも日本人で日本語のできる私を仕事上利用しようとして近づいてきたのかもしれませんが、それにしても怪しげな外見に関わらずこの台湾人のライさんは実はとても親切な人でした。中国で初めて会った人が良い人というとても幸運に恵まれていたと言えます。

私が中国へ来た当初にいろいろ助けてくれた台湾人のライさんのように、私もこれから中国へ出てくる人の役に立ちたいと考えています。
その後、ここで借りた事務所で中国のタオバオに出店して日本の化粧品などを販売することにしました。当時2012年頃にはタオバオに出店している日本人はほとんどいなかったのでかなり早かったと思います。タイミングが早すぎたのもあり最初はかなり苦戦しました。
この時ネットの掲示板で事務所で働いてくれるスタッフの募集をしました。そこで2人の中国人の応募があり会うことになりました。
この2人の中国人は今中国の貿易会社で働いているが、その会社を辞めてこちらで働きたいと言っていました。そして、では一緒に貿易をやろうということになりました。

 

中国法人を設立

当時私は貿易の経験は全くなかったのでこの二人から貿易についていろいろ教えてもらいました。やはり人生は「人」との出会いで変わっていくのだと改めて感じます。

当時まだ広州卸市場の情報をネットで公開している人はほとんどおらず、競合がなかったのでヤフー検索「広州仕入れ」で自分のブログがトップ表示されるようになりました。そのため中国貿易の新規のお客様からのお問い合わせメールがほぼ毎日いただける状態になり仕事は急増しました。

そして中国で貿易会社を作ってから一時は中国人社員が十数人くらいまで増えましたが、こっそりお金を中抜きされる、社員全員と喧嘩する、全員離れる、そのうちの1人は中国労働局へ駆け込み、中国で裁判も起こされ和解金で解決、などなどいろいろなこともありました。

いずれも私の社長としての能力不足が招いたことです。お金を中抜きできる経理システムを作った社長の責任です。喧嘩するのも社員への思いやりが足りないからです。今はたくさんの失敗を経験したことで、どうやって社員を育てていくか、組織を作っていくかも昔よりはわかってきたと思います。そしてまだまだ少ないですが良い仲間も見つかり再挑戦という感じで中国での上場という目標へ向かって頑張っています。

中国でチャンスをつかむ

中国は確かに大変ですが、中国へ出てきたことは後悔していませんし良かったと思っています。昔働いていた日立の私が部署は今は統合され事実上消滅したと聞いています。あのまま会社に残っていたらどうなっていたのかわかりません。
これからの世の中には安定というものはどこにもなく、誇りをもって生きていくためには新しいことに挑戦していくしかないのだと思います。

日本で行き詰まってしまったという人には、とにかく一旦海外、とくに中国へ出てみるのをおすすめします。中国のイメージはあまり良くはないですがこれから現地で中国語をマスターするだけでも何か将来チャンスがあるかもしれません。

今中国向けビジネスとして具体的に私がとてもチャンスがあると感じているのは、中国のネットショップ、そして日本メーカーの中国向け総代理店としてビジネスをするという方法です。

日本にネットショップや日本メーカーは数万件あります。大企業はかなり中国進出していますが中小企業になるとほとんどまだ中国へ進出していません。日本の数万件の中小企業が中国へ進出してくるという大きな流れがこれから起こるはずです。

中国で販路を拡大したい日本のネットショップや日本メーカーの中国向け販路拡大のEC出店や営業や中国の展示会出展、中国向け総代理店のサポートなどはこれからとても大きなビジネスになってくると思います。

特に、「中国での販路拡大をこっちでやるからそのかわり、中国向けの総代理店をやらせて欲しい」と中国進出したい日本メーカーに交渉する、というやり方はとても良いと思います。うまく販路拡大+総代理店契約ができれば中国で自社ビルくらいは持てるようになるでしょう。

中国向け総代理店になる

中国での生活は確かに大変なことも多いですが楽しいこともあります。ぜひ日本を飛び出して見ることをおすすめします。

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