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「心」は脳の分泌物にすぎない、本当の自分ではない

 「我思う、ゆえに我あり」、フランスの哲学者デカルトの言葉です。
多くの人はこの言葉の意味を、
自分は脳でいろいろな事を考えたり思ったりする、その考えや思いが「自分」であり、だから自分がある、
このように解釈していると思います。

でも、本当にそうでしょうか。脳で考えたり思ったこと、これは本当の自分でしょうか。

例えば先ほど私はタオバオ(中国最大のECモール)を見ていて偶然、小米というブランドの60インチの大型テレビが目に入ってきました。
wifiに接続もできて動画も見れる、60インチという大きさなのに価格も3000元(日本円で約4万円)でとてもお買い得です。
すごく欲しくなりました。心がとても興奮しもう少しでクリックして買ってしまいそうになりました。

果たしてこの、テレビを買いたいという心は本当の自分なのでしょうか。
ただまんまと心を煽って物を買わせる企業のゴミ情報に危うく引っ掛かりそうになっただけなのではないでしょうか。
冷静になって落ち着いて考えてみればそんなでかいテレビなんかいらないのです。
でもさっきは心が興奮し本当にもう少しで買ってしまうこところでした。

そしてヤフーニュースを見ていたら、大成功したIT社長の資産が数千億円、大きな自社ビル、立派な家、女優の恋人、そんなのが目に入ってきました。
するとまた私の心は激しく興奮し、中国で上場したい、有名人になって、大きな自社ビルや豪邸が欲しい、そんな気持ちになりました。

果たしてこの社長になって大成功したいという心は本当の自分なのでしょうか。

また、テレビを見ていてNHKスペシャルでイチロー特集を偶然見て、イチローの生き方に憧れる。

今度はyoutubeでラーメンの動画を見てラーメンが食べたくなった、
これは本当の自分でしょうか。

タオバオで大型テレビを見たのも、ヤフーニュースでIT社長のニュースを見たのも、テレビでイチローを見たのも、ラーメンを見たのもすべては偶然です。
たまたま見ただけです。何の必然性もありません。風がぴゅーっと吹いてきたのと同じです。

こんな偶然の出来事の寄せ集めでできた、何の必然性もない、まるで風に吹かれる池の上の木の葉のような「心」というものが本当の自分と言えるでしょうか。
私の答えははっきりとノーです。心なんか真の自分ではありません。

(ここでは「心」というのは脳で考えたり思ったりすることを「心」と言っています。)

ラーメンを見て、ラーメンの光が自分の目の網膜に映り、電気信号に変換され、脳でフィルターにかけられ、食べたいという思いがアウトプットされたのです。

お金持ちのIT社長をテレビで見て、自分も成功したいという思いが脳からアウトプットされたのです。

イチローを見て、プロフェッショナルな生き方に憧れるという思いが脳から分泌されたのです。

世の中の多くの人はこういう「心」を本当の自分だと思っています。そういう自分の思いや欲求を実現するためにこの社会で一生懸命頑張る、それが自分の生きがいであり人生であると思っています。

でも本当は何の必然性もない偶然のゴミ情報の寄せ集めの反応として、脳から「心」という分泌物が分泌されただけです。
「心」というのは脳からの分泌物にすぎないということです。

脳からでたらめに分泌される「心」というのは、まるで風に吹かれてゆらゆらと揺れる木の葉のようです。こういう状態を「無明」と言います。

脳のパワーは強力でとても優秀なので、私にまるで本当の現実のように思わさせて私を家来にしようとしてきます。うっかりすると脳が主人になり自分が家来になってしまいます。脳は体の一器官にすぎず、自分が主人なのです。

脳から分泌される「心」は決して本当の自分ではありません。世界を正しく認識していない脳の妄想にとらわれて、もしこのような不安定なものを本当の自分と考えて、それに基づいて行動していると、ゆらゆらと自分が激しく揺さぶられてとても苦しくなってしまいます。これが悩みや苦しみの根本原因になっているのです。

このような心(思いや考え)によって、例えば起業して上場して大成功して大金持ちになりたいという野心をもち、欲求や野心を実現することこそが自分の人生の目的である、そういうふうに誤った世界認識をする(そんなのは本当は偶然の風に吹かれた池の上の木の葉に過ぎないのです)、それを「自我執着」と言います。

この「自我執着」が人生の悩みや苦しみをとめどなく生じさせる根本的な原因なのです。

このような悩みや苦しみを軽減する方法があります。

それを人間は約2500年前からずっと考えてきました。一番最初にそれをやったのがブッダです。

その方法はすでに上述しましたが、

脳からでたらめに分泌される「心」なんて、真の自分ではない

そういう感覚を得ることで悩みや苦しみはだいぶ軽減されます。これは「無我」と言われています。

自分の「心」をもう一つ上の視点から観察するということです。これは「内観」と言います。

自分の心を観察しているもう一つ上の視点の自分、それこそが本当の自分「真我」です。

今の日本の仏教は伝来の過程でいろいろな人が改竄しすぎて煩雑になっていますが、煩雑なのは偽物です。真実はいつもシンプルです。宗教でもなんでもなく、

「自分の心をもう一つ上の視点から客観的に観察すると、すごく楽になるよ!」

ただそれだけの楽になる脳にやられてしまわないテクニックです。

例えばとても怖い夢を見ているとします。何か怪物に追いかけられている夢です。目が覚めてからこれは夢だったのかと思うのですが、実際に夢を見ている最中は本当の恐怖を感じています。

でも怪物に追いかけられている時に、これは夢なんだと自覚すればその恐怖はほとんどなくなってしまいます。

これは宗教でもなんでもなく、テクニックなので何度も何度も練習すればどんどん上手にできるようになります。

そしてただの体の器官である脳からの分泌物で、人生の行動を決めるのではなく、もっと真の自分に基づいて人生の行動を決定しなくてなりません。

おさらいです。

「自我執着」が悩みや苦しみを生む。

「心」をもう一つ上の視点から客観しする「真我」を知る。

脳で考えるのをストップして、ただ感じるようにするのです。これがいわゆる瞑想ですが、もっと具体的な方法があります。

モーニングページという方法です。

朝起床したら真っ白なノートを開きます。そしてコーヒーでも飲みながらゆったりとリラックスします。そうするといろいろな思いが湧いてきます。それをひたすらノートに書き留めます。後で見返すわけではないのでただひたすら湧いてきたことをさらさらと書いていけばいいのです。これは自分の「心」を客観的に観察する内観の練習になります。

私も何度かやっているうちにとてもすっきりするので、コーヒーを飲みながら真っ白なノートを開き書き留めるのが今では毎朝の習慣になっています。とてもおすすめです。

負け組になりたくない、とエゴむき出しで努力してお金を稼がなくてはいけないと思い込んで、悩みや苦しみに苛まれていないでしょうか。

あの手この手を使って人の心や欲を煽って、相手に物を買わせる、それがあなたの本当の人生の目的でしょうか。

一生懸命頑張るのは素晴らしいことですが、「真我」の導く正しい方向へ向かって頑張っているのかどうか、ただ苦しみを生むだけの自我執着ではないのか、もう一度客観的にチェックしてみた方がよいかもしれませんよ!

傳田塾

 

 

 

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バッグの部材市場「佳豪国際皮料五金城」 in 広州

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今日はバッグの部材買付けに広州の「佳豪国際皮料五金城」へ来ました。ここはバッグの金具などの部材専門の卸市場です。市場も大きく種類も豊富です。ここならどんなバッグ部材でも見つかりそうです。

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地下鉄三元里駅から徒歩約10分で、バッグ部材専門卸市場、佳豪国際皮料五金城に到着です。

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佳豪国際皮料五金城に到着

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ここはバッグの持ち手やクラッチ金具のお店です。

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バッグの金具のお店がたくさん。ここなら希望の部材が見つかります。

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店員さんが作業中、店舗兼工場です。

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市場内はかなり広いです。

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ここはチェーン、ファスナーのお店です。

 

 

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嫌な事があっても絶対人に出さない=徳を積む

今から約2500年前にブッダは悩みなどの煩悩を無くそうとして、命を落とすギリギリのほどの凄まじい苦行をしました。

何年間も激しい苦行を続けましたがそれでも結局、悩みは無くならなかったのです。

ブッダ「いくら苦行をしてもムダである、人間の悩みは無くならない」

最後にブッダは言いました。そうして苦行をやめました。

人類史上最高の頭脳と精神を持つブッダでさえ、悩みを無くすことはできませんでした。

 

生きること=悩み

要するに人間は悩みを無くすことはできないのです。悩みを無くすということがそもそもおかしいのです。

生きることそのものが悩みなのだから当然、生きている限り悩みはなくならないのです。

もともと仏教はブッダが始めましたが、今の日本の仏教はいろいろな人が改竄しすぎて複雑になりほとんど原型をとどめていません。もともとブッダは超当たり前の事しか言ってないのです。真理はシンプルなのです。複雑なものは偽物です。

 

悩みがあってもいい、人に出さない

寺院などにある仏像は全く悩みの無いような素晴らしいお顔をしています。でも実は仏様も悩みが全く無いわけではありません。仏様も悩みはあるが、絶対に顔に出さないのです。苦しそうなお顔をした仏様を見たことはないでしょう。

そうです、悩みは無くならなくてもいいのです。

でもどんなに嫌な事があっても、それを絶対に顔に出したり口にしたり他人に出してはいけない、仏様はそう教えてくれているのです。

何か嫌な事があったら人に怒りをぶつければスッキリするし、出さないとストレスがたまってしまうという人もいます。出さずにストレスがたまると早死してしまうという人もいます。

ですがそういう人はさっさと逝ってください。周りにネガティブな感情を撒き散らして長生きしている人ほど迷惑なものはありません。

ブッダも悩みをなくことはできませんでしたが、それを人に出すことは絶対にしませんでした。それゆえにあれほど偉大と言われているのです。

ある時ブッダの元へ喧嘩をふっかけにきた人がいました。大声で口汚くブッダを罵りました。でもブッダは全く怒り返すこともなくその男に向かって静かにこのように言いました。

ブッダ「ある人が食事を出してくれた。でも私はそれを受け取らなければどうする?」

男「その人は食事を持って帰るでしょう。」

ブッダ「そうだ。私は受け取らない。持って帰りなさい」

 

孔雀明王の修行

孔雀は蠍、毒ヘビなど猛毒の物も食べてしまいます。でも一切毒に当たることはなく鳥の中で最も美しい姿をしています。

孔雀はどんなに嫌なものを受け入れても自分の中でそれを処理して、絶対に外に出さないのです。それゆえに孔雀明王と言われています。

 

私達もどんなに嫌なことがあっても、絶対に人に出してはいけないのです。

私達は孔雀明王の修行をしているのです。

会社で嫌な事があっても、家に帰って妻に不機嫌な顔や言葉を出しては絶対にダメです。

妻にあなたは何も苦労がなくていいわねえと言われればあなたの勝ちです。苦労に心が負けていないからです。嫌な顔や言葉を出してしまうのは心が苦労に負けてしまったのです。

何があっても絶対人に不機嫌な顔を出したり、愚痴を言ったりしない、これが徳を積むということです。

孔雀はそうして明王にまでなり崇められるようになり、ブッダも史上最高の聖人になりました。

 

絶対に人に出さない、そうすれば奇跡が起こる

私達も徳を積む修行、どんなに嫌な事があっても顔に出したり口にしたり、絶対に人に出さない、そう強く決意して実践して生きていけば、素晴らしい奇跡が必ず起こります。

私ももちろんまだまだ未熟です。まだ時には嫌な顔や愚痴を周りの人に出してしまうこともあります。でも以前よりは人に出してしまうことは少なくなってきています。

「何があっても絶対人に出さない、そうすれば奇跡が起こる」

と毎日毎日自分に言い聞かせるようにしてから、明らかに自分の世界が良い方向へ変わり始めているのを実感しています。

奇跡が起きて、もしかすると2500年後に聖人として崇められるようになっているかもしれません(笑)

皆さんもぜひ試してみてください。試すというよりは必ず強い覚悟で実践してほしいです。必ず驚くような効果があります!

 

人生で1番必要な基礎「積極的な心の態度」

 

 

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